とてもかるくて、ゆっくりめ

自作ライトノベル掲載,執筆企画の進捗状況などなど、小説・ライトノベルを中心にあれこれ書き連ねます。

言葉を交わせぬ者達

飛竜の配達録 -言葉を交わせぬ者達-1

 大粒の雨が、ぬかるんだ地面へ足あとを刻みつけていく。黒い雨雲は山を覆い尽し、水滴のヴェールによって数歩先の見通しさえつかない状態だ。鳥が、獣が、そして旅人が――山に足を踏み入れていた全ての存在が、留まることを知らない雨粒の行進の前にひれ伏す他なかった。無謀な者に慈悲を与えるほど山は優しくない。彼らはそれを知っているから。
 故に山で痛い目を見る者は、無謀な挑戦者か無知な被害者のどちらかである。果たして、馬車の下敷きになっているこの男は一体どちらだったのだろう。物言わぬそれを見下ろしながら、灰色の飛竜ワイバーン――セツは自問した。

 現場を発見したのは単なる偶然――いや、それ自体が事故のようなものだった。雨宿りの最中に、目の前へ馬車が滑り落ちてくるなど誰が予想できただろう。少し間が悪ければ、自分まで巻き込まれていたかもしれない。思い返すだけで肝が冷える。
 馬車に何が起こったのか調べるために、セツは長大な翼を羽ばたかせた。雨粒を吹き飛ばしながら山の斜面に沿って飛行していると、ほどなくして山道らしき平らな道に辿り着く。着地したセツの視界に飛び込む、泥まみれの山道に刻まれた車輪の跡と、盛大に壊れた柵。どうやら先ほどの馬車はここから落ちたらしい。足場と視界の悪さが引き起こした、単なる事故と見て間違いないだろう。足裏に纏わりつく泥の不快感に顔をしかめながら、セツは落下した馬車の下へと向かった。
 改めて斜面を下りてみると、想像していたよりも落ちた距離が長い事に気付かされた。満足に身動きも取れない状態で、長時間に渡って痛みと恐怖を与え続けられたのだろうか。全くもって嫌な最後だ。
『メリュ、そちらはどうだ?』
 脳裏に描いた嫌な想像を振り払うように、セツは大声を発した。声を向けた先は、馬車の脇に屈みこんでいる小さな人影だ。セツが傍らに舞い降りると、人影は不快さで満ちた顔をセツに向けた。
「えーと……うん、ポッキリ」
 自分の首元をトントンと叩きながら、白髪の少女――メリュは、脇に横たわる馬に目を向けた。それだけで彼女の言わんとする事は理解できた。
 重苦しいため息と共に立ち上がるメリュ。その動作が緩慢なのは、ずぶ濡れになった防寒具が邪魔しているだけではないだろう。
『雨宿りしてる場合ではなくなったな』
 見ず知らずの相手とはいえ、このまま雨ざらしにしておくのは忍びない。できる範囲で弔ってやるのが、この場に居合わせたものの勤めだろう。セツはそう考えた。
「だね、流石に死体と一緒に雨宿りは勘弁だよ。あんまり動き回りたくないけど、別の場所を探そう」
 しかし、メリュの口から出た言葉は、セツの思い描いていたものと別方向のものだった。
『弔ってはやらないのか?』
 セツはメリュの顔を覗き込みながら、怪訝そうに問いかけた。白髪の隙間から覗く青い瞳には、哀れみや同情のような感情は一切見えない。ただただ、この状況が「迷惑だ」とだけ語っているように見えた。
「やらない方がマシだよ。埋めたところで、後から獣に掘り返されて餌になるだけなんだから」
 ついさっきまで生きていた人間を餌呼ばわりか、とセツは呆れた。遠慮のない発言はいつも通りだが、今回は状況が状況だ。もう少し言い方というものがあるだろう。モヤモヤとした感情のままに、セツはメリュへと突っかかった。
『人が死んでるんだぞ』
「人間だから、他の生き物だから、って問題じゃないよ」
 メリュは濡れた前髪をかき上げながら、ばつが悪そうに呟いた。責めるわけでもなく、諭すわけでもなく、ただ「自分の考えは変わらない」と主張する芯の強さ持った声色で。突き放すような態度にむっとしながらも、セツには返すべき言葉が思いつかなかった。
 説得を諦めたセツは、馬車を身体で押し上げ、男の身体を自由にした。埋葬のための穴を掘ってやりたいところだが、前肢のないセツには難しい注文だ。足の爪を地面に突き立て、何度引っ掻いても、ぬかるんだ土に歪な爪痕が増えるばかりだ。一向に掘り進む気配はない。
 もどかしさを噛み殺しながら、セツはひたすら穴を掘り続ける。やがてセツは、疲れに作業の足を止めた。彼の目の前には、小動物1匹を埋められる程度の穴しかなかった。
 へたり込み目を伏せるセツ。ふと、彼へと近づく足音が聞こえた。うっすらと開いたセツの目に、馬車から剥ぎ取ったと思しき木の板を持ったメリュが写り込んだ。
「視界が良くなるまでの暇潰しだからね」
 ほら下がって。と無愛想に告げたメリュは、セツの掘った穴へ木の板を突き立て、そのままスコップの要領で穴を掘り進めていく。黙々と作業を続けるメリュへかける言葉が見つからず、セツは大人しくその場を離れた。
 なんとなく馬車の近くまで戻ったものの、何かできる事があるわけでもない。メリュが望まぬ作業をしている最中に自分だけが休むのも気が引ける。セツは天を仰いだ。黒い雲からは雨が打ちつけるのみで、答えが降ってくる形跡はなかった。
 そのままボーっと、降り注ぐ雨に身を委ねていた時、セツは固いものがぶつかるような音を耳にした。音のした方向にある物は壊れた馬車のみ。風で飛ばされた木か何かがぶつかったのだろうか。
 気になって馬車のそばまで歩み寄ったが、それらしいものは周りに転がっていない。不審に思ったセツは、視線を馬車の中に向けた。内部はメリュが確認したため、中がどうなっているのか見るのは初めてだった。
 車内には紐で縛られた木箱があるのみで、椅子や装飾の類は一切見られない。馬車というより荷車だな、とセツは心中で呟いた。中を一望したが、結局音の出処らしいものは見つからない。気のせいだったか、とセツが結論づけた時、目の前で木箱が微かに動いた。驚きに身をすくませるセツ。恐る恐る木箱へ首を近づけると、緩んだ蓋の隙間から、微かに鉄のような臭いが漏れでていた。血の臭いだ。
『メリュ!』
「何? こっちも結構大変なんだけどー」
 非難するようなメリュの声を尻目に、セツは木箱を首で器用に手繰り寄せ、紐を解く。メリュの到着を待つ間すら待てず、蓋を開け放ったセツは、中にあったそれを見て言葉を失った。
「ちょっと、勝手に人の荷物開けちゃダメでしょ! 何が入ってるかわからな――」
 遅れて到着したメリュも、セツの見たものを視界に捉え、表情を強張らせる。

 箱の中身は、頭から血を流した少女だった。

飛竜の配達録-言葉を交わせぬ者達-2

「まだ温かい。この子、生きてるよ」
 箱から少女を抱え出しながら、メリュは自分に言い聞かせるような口調で告げた。
「頭打っただけで済んだのは不幸中の幸いかな。箱の中に居たから外に放り出されなかったんだろうね」
 メリュの見立てでは、頭部からの出血が多いものの傷自体は浅く、命に別状はない。との事だった。手当を受ける少女の穏やかな顔に、セツも釣られて表情を緩ませる。
 ほどなくして、メリュは作業の手を止めて深い息をついた。
「これでよし。セツ、ちょっとの間だけ、この子の様子見ててね」
 少女の背を木に預けたメリュは、セツの背負った装備から革製の袋――調理用の道具を入れたもの――を手に取り、雨の中へと飛び出していった。少女が目覚めた時のために何か作るつもりだろうが、道具だけ持ってどうするつもりなのだろうか。
『……まぁ、なんとかするだろう』
 セツは考える事を放棄して、与えられた仕事をこなすことにした。もっとも、やるべき事は少女の経過観察のみ。実質的に休憩のようなものだと思っていいだろう。
 セツは少女の隣に身を伏せた。気が抜けたせいか、一気に全身を脱力感が襲う。思えば、ろくな休息も取らずに精神を尖らせ続けていた。気づかない内に疲れが溜まっていたらしい。起きて様子を見なければ、と抗ったものの、セツはそのまままどろみの中に意識を落としていった。

 薄く開いた目に映る空は、夕日の色に染まっていた。
 寝過ぎたか、とセツは慌てて身を起こした。辺りにメリュの姿が見えないため、それほど長い時間寝ていたわけではないはずだ。と自分に言い聞かせ、少女の居るであろう場所へ目をやる。幸い……と言って良いのかわからないが、彼女はまだ眠り続けていた。寝ている間に逃げられていた、などという失態を晒さず済んだことにセツは安堵した。
 そして気づいた。もし少女が目覚めた時、メリュがここに戻ってきていなかったらどうなるのだろう。少女の視点で考えてみれば、事故に遭って気がついたら隣に巨大な化け物が鎮座していた、なんて状況を冷静に受け止められるだろうか? 無理だ。間違いなくパニックを起こすに決まっている。落ち着かせようにも、セツは人間の言葉を理解できても話すことはできない。――よく考えたら、これは非常にマズいのではないか。セツの心中が焦りに埋め尽くされた時。
 動揺が伝わったのか、少女が微かに身動ぎした。
「ん……」
 続いて寝ぼけたような声。ダメ押しと言わんばかりに、少女の双眸がゆっくりと開かれていく。そして、灰色の瞳がセツを真っ直ぐ捉えた。――叫ばれる。反射的にセツは身構えた。
 ところが、予想に反して少女は冷静だった。眼前にいるセツには目もくれず、周囲をゆっくりと見回していく。辺りをひとしきり眺め終えた後。
「……着いたんでしょうか?」
 頭に巻かれた包帯を気に手を当てながら、小首を傾げて呟いた。抱えた膝の間に顔を埋め、ぼーっと地面を見つめ始める。
 セツは対応に困った。騒がれるのはマズいと思っていたが、まさか完全に無視されるなど考えもつかなかった。竜より包帯の方が気になるとでも言うのだろうか。
 長い沈黙が訪れた。少女はただただ地面を眺め、セツは少女に生温い視線を送り続ける。木々のざわめきがやたらとうるさく感じた。
『お、おい』
 にらみ合いの末、先に動いたのはセツの方だった。セツの声を意味のある言葉として認識できるとは思えないが、存在をアピールするだけなら意味が通る必要はない。
 声が届いた瞬間、彼女は弾かれたように顔を上げ、セツの方へと視線を向けた。困惑と恐れが、夕日に照らされた彼女の顔を青く染める。――こんな顔を向けられるのはやはり慣れない。自分が起こした行動の結果だとしても、だ。
 我ながら面倒な奴だ。と、セツは自嘲した。ざわつく心に鞭を打ち、できるだけ敵意を感じさせないようゆっくりした動作で、少女の目線まで顔を下げる。襲いかかる意思が無いと伝わってくれれば良いのだが。
 意味を成さない短い言葉が、少女の口から漏れ出る。落ち着きなく左右の指を絡め、居心地が悪そうに身体を震わせた。
 再び気まずい静寂が訪れるのかとセツが覚悟した時、少女が意を決したように唇を引き締め、震える声でセツへ語りかけた。
「あ、あの……ひょっとして、あなたがヌシ様ですか?」

飛竜の配達録-言葉を交わせぬ者達-3

 ヌシ様。聞きなれない単語だ。ヌシ――主の名が示す通りであれば、どこかの場所を治めている者なのだろうか。当然ながら、セツは自分がそんな大層な存在になった覚えはない。
「……違うのですか?」
 黙り込んだセツを不審がってか、少女が次なる問いかけを投げかけた。
 セツは悩んだ。本来であれば、一言「違う」と伝えるだけで済む話だが――。数刻の間を置いて、意を決したセツは灰色の瞳を真正面から見据え、告げた。
『あ、ああ。ヌシ様とやらではないが』
 しかしセツがどう言葉を発しても、少女は不安そうに眉根を歪めるだけだった。
 やっぱりか、とセツは嘆息した。竜以外に竜語を理解できる存在など、セツの知っている限りではメリュを含めてたった3名しかいない。メリュを介さずに会話でコミュニケーションを取るのは無理だ。
 ジェスチャーで否定の意思を伝えられないかと、首を振る、翼を動かす等、考えられるだけの行動を取ってみた。が、少女から納得いった様子は見られない。得られた成果と言えば、せいぜい不安が不審にすり替わった程度か。
 会話はダメ。ジェスチャーもダメ。完全に手詰まりとなってしまった。雨上がり特有のじっとりとした空気が、少女のぼんやりした視線とともにしつこく絡みついてくる。彼女の乱れた金髪が風で擦れる音さえも、セツを急かすようだった。――もう逃げたい。弱気がピークに達した時。
「おまたせー。気分はどう?」
 声が聞こえた。メリュだ。両腕に抱えた肉の山、その脇から覗いた顔が、セツにはいつもより2割ほど輝いて見えた。少女へと微笑みかけるメリュ、それとは真反対に、少女の顔は突然割り込んできた第三者への警戒心で再び影が落ちていた。
「ええと、あなたは……?」
「ん? ああ、通りすがりの配達屋だよ。そっちの子もね」
「配達屋さん、ですか」
 少女の反応は生返事だけだったが、正体が分かったことで警戒は薄れたようだ。身体の強張りを解き、落ち着かない様子で視線を周囲に巡らせた。
「……私なんかにどんなご用でしょう」
 焚き火の準備を進めていたメリュが、少女の質問を受けてその手を止めた。少女からでは陰になって見えないだろうが、メリュの顔は露骨に面倒くさそうだ。
 面倒臭がっている理由をセツは察した。少女は自分の置かれている状況が理解できていないのだ。よくよく考えてみれば、少女はずっと箱の中にいたせいで事故現場を目にしていないのだ。無理もない。
 メリュはセツへ目配せする。「素直に伝えるべきだろうか?」と問いかける瞳へ、セツは少し悩んだ後、頷いて返答した。
「落ち着いて聞いてね。君の乗ってた馬車が雨で事故を起こしたみたいなんだ。私達は偶然そこに居合わせてね。気を失ってる君を運良く見つけたんだよ」
「事故、ですか」
 少女は頭に巻かれた包帯に手を当て、自分へ言い聞かせるように反芻した。意味を噛み締め、安堵と戸惑いをため息に乗せた直後、少女はハッとした表情で口を開く。
「あの、御者さんはご無事でしょうか?」
「彼は……私達が着いた時にはもう」
 少女は「……そうですか」と力のない呟きを発した。当人はまだ事故に遭った実感が湧かない様子だが、身体の方は落下の恐怖を刻み込まれたのか、微かに震えている。メリュも心なしか居心地が悪そうだ。嫌な役回りを押し付けてしまった、とセツは自分を責めた。

「――助けていただいてありがとうございました。私はリオーネと申します」
 しばらくして少女――リオーネは、ぎこちないながらも笑顔でメリュへ向けて頭を下げた。自分がウジウジしていても仕方ない、と割り切ったのか、メリュもにこやかに返答した。
「お礼なら隣の子にも言ってあげて。君を見つけたのはその子だからさ」
 突然話を向けられたセツは、「余計な事をするな!」と内心で叫んだ。先ほどコミュニケーションを取ろうとして失敗したばかりなのに、今更どんなやり取りをしろと言うのか。リオーネもまた対応に困ってか、落ち着きのない目線を空中に向けるだけだった。
 ふと、メリュは難しい表情を浮かべ、自らのこめかみを人差し指でトントンと叩いた。何事かとセツが様子を見ていると、メリュは手元にあった焚き火用の枝の1本を掴み、リオーネの近くに向けて投げた。弧を描く枝をセツは目で追う。枝と草がぶつかる軽い音が、セツの鼓膜を震わせた。リオーネも不思議がってか、音のした場所へと引っ張られるようにして首を向けた。
 意図の掴めないセツ,リオーネとは対照的に、メリュは納得のいった様子で口を開いた。
「ねぇリオーネ。変な事聞くようだけど……ひょっとして君、目が悪い?」

飛竜の配達録-言葉を交わせぬ者達-4

 メリュの遠慮ない言葉を耳にしたリオーネは、不思議なものを見た子どものように目を丸くして。
「はい。生まれつきほとんど見えてませんが……」
 何故そんな事を聞くのか、と言わんばかりの自然さで答えを返した。
「そっか。答えてくれてありがとう。変なこと聞いちゃってゴメンね」
 誤魔化すようなはにかみ笑いを浮かべ、メリュはリオーネへと頭を下げる。謝られると思っていなかったのか、リオーネは慌てて「す、すみません。気を遣わせてしまって……」とか細い声でメリュをなだめた。
 踏み込んだ質問がきっかけになったのか、セツの目には2人の距離が少しずつ近づき始めたように見えた。それ自体はとても喜ばしい事だ。だがセツはこの状況が、正確に言うならリオーネの態度が気になって、どうしても素直に喜ぶことができなかった。
 あんな不躾な質問をされたにもかかわらず、なぜリオーネは嫌な顔1つしなかったのだろう。生まれながらに背負ったハンデ――自分の意志ではどうしようもない現実について他人に触れられるのは、決して気持ちのよい事ではないはずなのに。
「セツ、どうかした?」
 セツの思案はメリュの声で遮られた。我に返ってみると、眼前には2つの不審そうな顔。そんなに長い時間考え込んでいたのだろうか、とセツが不安に思った瞬間だった。
「セツ?」
 疑問の声をあげたのはリオーネだった。思い返してみると、彼女の名前を聞いただけでこちらは名乗っていない。自然と会話が進んでいたせいで失念していた。
「君の隣にいる子の名前。ワイバーンって聞いたことがある?」
「…………………………すみません」
「な、なんだか謝らせてばっかりでこっちが申し訳なくなるよ……」


 ***


「――よし、そろそろいいかな」
 簡単な自己紹介を終えた頃、焼けた肉の香りが周囲の空気を彩った。肉の塊を火から下ろし、テーブル代わりの木の板――リオーネの入っていた箱のフタだが――の上に広げる。メリュが香辛料を惜しげも無くふりかけると、ツンとした匂いが食欲を刺激した。
「はい。熱いから気をつけてね」
 メリュが差し出した肉は、彼女の手の平ほどの大きさがあった。分厚さも相当なもので、小柄な少女が食器なしで食べるのは少々無理があるように見える。
『待て、そのままじゃ流石に食べにくいだろう』
「え? かぶりつけばいいじゃない」
『お前と一緒にするな』
 セツに一蹴され、メリュはしぶしぶ肉を切り分け始める。一口大に切り分けられた肉を受け取ったリオーネは、居心地悪そうに身体をよじらせながら「すみません」と謝った。セツの発する言葉を理解できていなくても、自分の事で言い争っているのだと想像がついたらしい。
 メリュはやれやれと言わんばかりに嘆息し、 リオーネの手へ肉を突き刺したフォークを丁寧に握らせた。
「こういう時は、"ありがとう"でいいんだよ?」
リオーネは急に手を触れられた事に驚き、大げさに身体を震わせる。戸惑いにパクパクと口を開閉させ、ややあってから。
「あのっ……ありがとう、ございます」
 消え入りそうな声でそう伝えた。


「さて。お腹も膨れたことだし、ちょっと質問していいかな?」
 山盛りの肉を全て平らげた後。
 リオーネの了承を得て、メリュは溜まりに溜まっていた質問を遠慮無くぶつけた。馬車の行き先。急いでいた原因。そしてリオーネが箱の中にいた理由。リオーネは、それらの質問に対しどう答えるべきか悩んでいる様子で、忙しなく顔をあちこちに向けていた。しばらく間を置いてようやく回答が纏まったのか、リオーネはメリュのいる方向――若干逸れていたが、メリュがこっそりと真正面へと移動した――を向いて、たどたどしい口調で語り始める。
「あの馬車は、ヌシ様の下へ向かう途中だったのです」
「ヌシ様?」
 聞きなれない言葉にメリュが眉をひそめ、セツに目配せした。「知ってる?」と問う青い瞳に、セツは首を横に振って返事をする。『ヌシ様』――その単語をセツが耳にしたのはこれで2度目だが、1度目に聞いた時、何を指しているかまではわからず仕舞いだった。
 疑問符を浮かべる1人と1匹だが、その反応を返す事をリオーネは予想していたらしい。慎重に言葉を選びながら、リオーネはヌシ様についての説明を始めた。
「えっと……ヌシ様とは、私の故郷で崇められている、雨と豊穣の神様です。故郷は山奥の小さな村なのですが、私の記憶している限りでは、大きな飢饉が起きたり水不足に悩まされたりといった事はありませんでした。これはヌシ様のご加護によるものだと言い伝えられております。そこで日頃の感謝を込めて、年に一度、ヌシ様へ貢ぎ物を送る習わしがあるのです」
 不慣れさが全面に出たたどたどしい説明だったが、セツは彼女の言いたいことがおおよそ理解できた。それはメリュも同じようで、リオーネにわかりやすい説明を求めるようなことはしなかった。
「で、そのヌシ様に貢ぎ物を届ける最中に事故が起こったと」
「はい。貢ぎ物は新月の夜までに届けるよう厳しく言われておりましたので……」
「次の新月は――明日か。なるほど」
 ヌシ様とやらの居場所がどこかはわからないが、期日が明日の夜となると、急ぎたくなる気持ちはわかる。そうして焦った結果、期日に間に合わせるどころか直接手渡すことすらできなくなったのは皮肉としか言いようがない。
 ふと、セツの脳裏に疑問が浮かんだ。
『肝心の貢ぎ物とやらはどこにあるんだ? 馬車の中にはそれらしい物など見当たらなかったが』
 行き先と目的は理解できるが、手ぶらで行ってはまるで意味が無い。一体どういうことだろう。
 察しの良いメリュなら何かわかるだろうか、と彼女の方へ目をやる。
「セツ。リオーネの言ってる貢ぎ物って言うのは――」
 すると、待っていたかのようにメリュは口を開いた。だが、何か様子がおかしい。いつもの茶化した説明口調ではない、どこかためらいを感じさせる憂いを帯びた声色。セツの不安を駆り立てる調べが、疑問への回答を示した。
「――……リオーネ自身。生け贄って奴だと思う」

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